外の暑さは、その太陽が景色に与える陽射しの強さで見て取れた。
今日はきっと、今年の最高気温を更新するだろう、と。
そう思いながら、クーラーの効いた快適だが少し肌寒さを感じる家の中で、土浦は雑誌をぱらぱらと捲っていた。
最近読み始めた、音楽界で活躍する人々を紹介していく月刊誌。いわば芸能雑誌の音楽家版と言ったところのもの。
 手にした理由は至極単純。たまたま楽譜を買いに本屋に立ち寄った所、

『ヴァイオリンの貴公子現る』

雑誌の表紙の見出しで、余りに単純で型に嵌った謳い文句。だか、すぐにそれが誰か分かった。

「・・・・・・」

アイツしかいない。土浦は目当ての楽譜と、その雑誌を手に取りレジを通った。
 読めば、予想的中。見開きの演奏中の写真、ヴァイオリンを弾く姿に変わりは無い。
が、表情はやはり場数を踏んでいる分大人びた様で、『貴公子』と謳われる事に妙に納得がいった。
 それから何度か、月森が載る度に、土浦は雑誌を買う様になっていた。
海外遠征で多忙だとは分かっていても、会えないと言うのはやはり寂しい。
その所為もあって買うのだろう、と土浦は読む度いつも思った。

今日は家族は完全に出払っており、『ケーキ楽しみにしてなさい』という姉の置手紙が不思議でならなかった。
雑誌を途中で読み止め、さあピアノでも弾くか。そう思った矢先、携帯が鳴った。

「?!」

しかも、長らく鳴っていなかった、懐かしメロディが。
土浦は即座に携帯を手に取った。
 開いて見れば電話の受信で、送信元は先程まで見ていた「月森蓮」の三文字。海外に渡航してから全く音沙汰無かった相手からの、突然の連絡。

「(嘘、だろ?)」

期待に 高鳴る心臓を押さえながら、土浦は通信ボタンを押した。
「もしもし」
しかし、

“Hallo? Freut mich. Ich heisse...”
「……は?」

発音からドイツ語だとは分かった。が、それは知らない声で、何を言っているのか土浦は全く意味が分からなかった。
 だが、

「土浦」

次いで懐かしい、聴きたかった声が聞こえてきた。一気に心拍数が上がった。

 ――― 月森……
「先生に…携帯を取ら……れてしまって」

そう言う間に、月森は何度もドイツ語を交えた。恐らく先生が色々と何か言ってきているのだろう。
電波の向こう側の様子が土浦は思い浮かべられた。困惑しているのだろうか、声に弱冠の焦りがあった。

「少し待っていてくれないか」
「あぁ」

その断りの後、電話の向こう側は異国と化した。微かだが流暢に飛び交う異国語。
口論とは言い難いがそう聞こえるのはきっと月森の声がキツいからだろう。

 ――― 先生、って向こうで月森が師事している人ってことか?

一体、どんな凄い人なのだろうか。
 暫くすると、車のエンジン音が聞こえた。次いで溜息。どうやら先生が折れて終わったらしい。

「済まない」
「いや、別に気にしてないぜ」

ところで、と土浦は続けた。

「今、どこにいるんだ?」
「……」

返事が、ない。

「おいおい、まさか迷子か?」
「いや、それは無いはずだ。地図で確認している」

がさがさと物音がした。それに土浦は笑い、部屋の窓に近付き外を見た。
 刹那、体か強張った。

「……ッ」

窓の外、家の前の路に立つ人物。

「月、森」

そう言えば、窓越しに視線が合った。
似合わない帽子は陽射し避けか、顔隠しのためかは分からない。だが、影がある。つまりそこに実在している。

 ――― そうか居場所を言わなかったのは

土浦はふらつきながら後退すると、全速力で玄関に向かった。廊下の熱気なんてどうでもいい。とにかく急いだ。
荒々しく扉を開ければ、月森はすぐそこにいた。高校生の時と変わらない、青いヴァイオリンケースを携えて。
互いにほぼ同時に電話を切った。
帽子を取れば空色の髪が、琥珀色の瞳が目に入った。

「久しぶりだ、土浦」
「お前なぁ……」

帰ってくるなら連絡くらい入れろって。
そういいながら、月森を家へと招き入れた。

「やはり暑いな」
「夏だし、な」

エアコンの効いた部屋へ入れば、汗によって湿った肌に冷たく、季節にそぐわず鳥肌が立ちかけた。
 月森はソファに座り、土浦は冷蔵庫からお茶を出した。

「紅茶なんて洒落たもん、家には無いからな」
「いや、気にするな」

そう言い、月森は出されたグラスに口をつけた。

「……生き返るな」
「あぁ」
「そういや、先生とやらはどうした」
「あぁ、こちらの知り合いの家に行ってくると」
「近くなのか?」
「あぁ、そうらしい」

各々グラスを置き、土浦はふと視線を月森に向けた。
 と同時に跳んだ。

「ど、どうした?」

「い、いやいやいいややや」

語尾は既に言葉になっていなかった。突然、土浦はソファに座る月森の横のスペースに座った。

「?」
 ――― あ、危ない

これがばれたら何を言われるか解らない。
土浦の下には、読みかけのあの雑誌があった。今となっては不幸だが、表紙は月森だったのだ。
 土浦はばれないように足でソファの下へと、その雑誌を隠した。

「つ、月森の横に座りたいなー、って」
「……」

しかし月森の視線は、不自然に動く土浦の足に移った。

「何を隠したんだ?」
「?!」

土浦は足を止めた。

「な、何も無い!何も隠してなんか無い!」

しかしそんな言い訳通じるはずも無く、月森はソファから立ち上がると、土浦の座っている位置のソファの下に手を伸ばした。
それに対し、土浦もばれてなるものかと言わんばかりに抵抗した。

「邪魔をす、るなっ」
「い・や・だっ」
その揉み合いは、小学生の喧嘩のようだった。



両者一歩も譲らなかったが、最終的には月森が勝利した。
 その手には、あの雑誌。

「……」

月森は表紙を見て目を見開いた。そして土浦の方を見る。

「……」

気まずそうに、土浦は視線をそらす。

「何故これを、と聞いてもいいだろうか」
「……」
「土浦」

返事も返さず、土浦は目を閉じてそっぽを向いている。
そんな様子の土浦に、月森は近づき耳元で言った。

「梁太郎」
「!…」

いささかの反応を見せるも、口を開こうとはしなかった。

「そうか」

そう言って雑誌をテーブルの上に置くと、土浦の肩を掴んで押した。

「ぅおぅっ」

そのまま綺麗に押し倒されてしまった土浦は月森の肩をさほど強くない、だがそれ以上近づかせない程度に押し返した。

「何する気だ」
「口で言わないのなら、身体に聞こうかと」
「は?!」

さらりと素面で言い切った月森に、土浦は赤面した。は、一瞬にしてそれは別の方の意味へと変化した。
 何の前触れも無く、Tシャツの中に手が滑り込んできた。

「ッ…!」

肌の上を滑るようなその感覚に、土浦は息が詰まった。その様子を見て月森は首筋を軽く舐めた。すると土浦の身体はびくりと反応し、また汗の僅かな塩辛さが舌を刺激した。
次いで手を胸部へと進めその尖りをく、っと抓った。そうすれば土浦の背中を、微かな痛みと同時にまた別のものが下へと走った。

「ぅあっ」

その感覚から逃れようと、土浦は上半身を捩った。
 しかし、月森の手は止むことなく、遂にはズボンの中へと侵ってこようとした。

 ――― このまま流されてたまるかっ!

そう思ってすぐ、土浦は行動を起こした。

「や・・・めろこの変態がッ!」

今度の抵抗は本気で、月森も何かしらの危機を察知し、素直に退いた。

「昼間っから何させるんだっ!」

そう言うも頬は紅潮し、服は捲くりあがったままで、羽織っていた半袖の上着は腕の半ばまでずり落ちている。
言葉は月森に対してなんら効果はなくむしろ、その格好は加虐心を煽るものだった。
 しかしそこは土浦を腕中に収めることで回避した。最も、最善の策と言えるものではなかったが。

「離せ月森」

そう低く、唸るように言う。
 が、

「……」
「…はぁ」

口から出たのは罵声ではなく溜息。

 土浦は捲くりあげられたTシャツを下ろし、上着を着直し、向かいのソファに座った。月森も皺になったソファのカバーを直して座りなおした。

「で、今日は何しに来たんだ。帰国してまでなんだから、よほどの事なんだろ?」
「君は気付いていないのか?」
「は?」

月森は立ち上がると、リビングの壁に掛けられているカレンダーの方へと歩いた。指で今日の日付を追い、確認を取る。

「今日は君の誕生日だろう」
「…あぁ!」

これか、と土浦は朝の置手紙を思い出した。

「忘れていたのか」
「ああ、完全に」

そんな土浦の様子を見て、月森は小さく溜息をついた。

「これでは俺が馬鹿じゃないか」

そして拗ねた様に、視線を外して顔を斜め下に傾けた。

「誕生日なんてどうでもいいとおもったが」

土浦は月森を見て、

「お前が帰ってくるなら、そう悪くも無いかもな」
「…そうか」

その言葉に月森は少し機嫌を良くした。