Izaya Orihara,The tutor as well as the Informant 6-1
夏休みを怠けずに規則正しく生活し、また程良く勉強したことで、実力テストの結果は上々だった。ホームルームの時間に解答用紙を返され、静雄は無言で、心の中でよし、と呟いた。
「結果良かったみたいだね」
席に戻るなり、前の席に座る新羅が振り返って、話しかけてきた。
「まぁな…顔に出てたか?」
「普通の人じゃわからない程度には」
静雄は解答用紙をファイルに入れ、机の中にしまった。すると、新羅が受験生らしい話題を持ち出してきた。
「そういえばさ、静雄は志望校決まってる?」
「…いや、まだだ」
決まってはいないが、漠然と、このあたりの大学にしようというのは大方決めていた。国公立二校どちらかと、私立大学を二校。うち一校は、センター試験の利用で受験しようと考えていた。
「そういうお前はどうなんだ?」
「え?僕は進学しないよ」
「はぁ?」
驚いた。新羅ほどの学力というか、知力があれば国公立の医学部にだって行けるだろう。実際、彼は将来医者になろうと考えており、静雄もそれを知っていた。
「就職ってことか?」
「ちょっと違うかなぁ。まぁ、あてはあるから安心してよ」
そう言って静雄の肩をポンポン、と叩いた。
「別に心配なんかしてねぇよ」
静雄はその手を軽く払った。痛いなぁ、と大して痛がっていない調子で、新羅は手を振った。
「そういえば、静雄っていざ…折原さんが家庭教師やってるんだよね」
「あぁ」
静雄は赤ペンと模範解答を用意しながら答えた。
「彼のことどう思ってるの?」
机に腕をついて、新羅は尋ねた。ペンをくるくると回しながら、静雄はしばし考え、言った。
「…教え方は上手いから家庭教師としてはすごいと思う。けどなんつーか、何か隠してるっつーか、腹に一物ありそうな気がすんだよ」
「じゃあ、あまり好きじゃなかったりする?」
その質問に、静雄は手を顎に当てて唸った。
「…いや、そんなに嫌いじゃねぇ」
「え?」
その答えは新羅にとって意外だった。そんな腹に一物あるような男を、静雄が嫌いでない筈がないと思っていた。一体何があったのか、それとももう臨也に何かされてしまったのだろうか。
あからさまに驚いている新羅を見て、模範解答と睨めっこしていた静雄は頭を掻いた。
「あー、家族とか新羅以外でここまで長い間話した奴なんてそうそういねぇからよ」
「…そう、だね」
確かに静雄の交友関係は極端に狭い。周りは変に気を遣ったり、事務的なことしか話さないため友人とは言い難い。それ以前に、そもそも話しかけてこない。むしろ根拠のない面倒な因縁ばかりであった。そんな中に現れた第三者だ。自分と話し、勉強を見てもらっている。そんな人を、静雄が嫌うはずがなかった。
――― 臨也も、今回は本当長いなぁ。臨也も人の域は越えてなかったってことか
ところで、新羅にとって心配なのは静雄の方だった。あの臨也のことだ。自覚すれば何をしでかすかわからない。最悪の場合を想定すればきっと自分なしでは生きられないようにしてしまうだろう。静雄も静雄で、きっと落ちてしまうかもしれない。
「では、文化祭の役割を決めるので、回って来たくじを一枚ずつ引いてください」
文化祭実行委員の声に、ふと新羅は戻ってきた。気付けばくじの袋は静雄にまで回っていた。
「新羅、次」
「あぁ、うん」
静雄が一枚引き、次に新羅が引いた。お互いほぼ同時にくじを開いた。
「…君は何だった?」
「……………………………………………」
静雄の方を見ると、くじをじっと見たまま止まっていた。変な硬直ではなく、単純な驚きがそこにあった。
「その長い無言はどうしたんだい?」
「いや、文化祭何やるか今初めて知った」
「ちょっと遅すぎるよね」
新羅は苦笑しながら静雄のくじを覗いた。
「僕と同じ接客だね」
「そうか」
「でも、女装はないよね」
一瞬、静雄の頭は漢字変換ができなかった。
―――「じょそう」って、あの「じょそう」か?
確認のため新羅のくじを見て、静雄は新羅の肩を軽くたたいた。
「まぁ…その、がんばれ」
「別に応援はいらないよ。やる気は全然ないから」
「…多分似合うと思うぞ」
「……!」
まるで珍獣でも見つけたかのように目を丸くして、新羅は静雄を見た。
「な、何だよ」
「いや、君がまさかそんなこと言うとは思ってもいなかったからさ」
文化祭当日。
――― こんな形でここに来ることになるとはなぁ…
臨也は母校来良学園の校門の前にいた。様々な記憶がよみがえるが、色はなく完全に過ぎ去った過去であった。特に文化祭は思い出したくもない記憶がいくつか、修学旅行の次ぐらいに混ざっている。さらにあまり顔を見たくない恩師もまだ残っていると聞いた。正直溜息が出て踵を返して帰りたいと思うが、それを上回る目的があるので帰るわけにはいかない。外来用のチケットは妹から入手済みである。
「さーて、静雄君はどこにいるかな」
気を取り直し、臨也はコートのポケットに手を突っ込み校舎に入った。
廊下はたくさんの人で賑わっていた。老若男女、制服から私服、明らかにコスプレともいえる格好まで、千差万別だった。もともと人の多い池袋に建つ学校とあって、客の動員数も半端ではない。
臨也は丁度目についた、教室の前で集客をしている女子生徒に話しかけた。
「すみません、ちょっといいですか?」
「何ですか?」
手にしていた看板を下ろし、女子生徒は臨也の方を見た。
「平和島静雄って子、何組か知ってる?」
名前を出すと、女子生徒は少し驚き、「えっと…」とつぶやいた。
「…確か二組だと思います。三年二組」
「そう、ありがとう」
平和島静雄という言葉にいささか驚いたようだったが、特に理由を聞くこともなく素直にその女子生徒は臨也に教室を教えた。三年二組と言えば、この校舎の二階の奥から四番目の教室のはずだ。臨也は過去を思い出しながら、間違っていないか門前でもらったパンフレットに目を通した。ついでに二組の催し物にも目を通せば、手書きの文字で「Servant」と書いてあった。
臨也は軽い足取りで階段を上った。三年の教室は二階に集中しており、すぐに行けるかと思ったら、そうはいかなくなってしまった。
「いっざにい〜ッ!」
「…舞流」
突然階段上部から飛んできた女子生徒、もとい舞流を、臨也は身を捩って躱した。しかしそのまま無慈悲に見過ごすことはせず、腕を伸ばしてその小柄な体を受け止めた。ところが飛んできた言葉は感謝ではなく、文句。
「ちゃんと受け止めてよ!」
「蹴りをしようとした奴を誰が受け止めるか」
臨也は視線を上にあげた。
「九瑠璃も飛ぶなよ」
「…試……」
そう先にくぎを指せば、九瑠璃は大人しく階段を下ってきた。
「ねぇねぇ、私たちのクラスに来てよ。クイズショーを真似た出し物なんだけど、なかなか問題が面白いんだ!きっとイザ兄も楽しめるというか、絶対一番獲れちゃうよ」
「是…来…」
「ちょっと待った」
妹たちに両腕を取られそのまま連行されかけた。しかし目的を見失うことはなかったので、臨也はその拘束から逃れ、ひらりと階段の方に足を進めた。
「俺は他の教室に用事があるの」
絶対来てねと言う舞流の言葉を軽くあしらって、臨也は階を上がった。
二階は三年生の出し物とあって気合が入っており、その分客も多かった。廊下は往来が辛うじてできるぐらいで、立ち止まるなんてことをすればただの邪魔者にしかならなかった。
三年二組の教室は予想通り奥から四番目に教室のプレートが掛かっていた。臨也は人の波にうまく乗って進み、教室の前まで出た。すると、何人もの女子生徒が窓から中の様子を覗いては、携帯を構えて写真を撮っていた。メールブロックで画面を見ることは出来なかったが、直接窓から中の様子を見て、納得した。
――― へぇ……
臨也は教室内で忙しなく動き回る生徒に混ざっている静雄を見て、笑った。いつもの無造作な金髪は、長めの前髪は赤いピンで留められ、後ろは小さく束ねていた。白いカッターシャツは袖を捲り、黒のスラックスを穿き、腰には濃いベージュのエプロンを巻いていた。ただのギャルソンの格好だが、静雄が着るとドラマにでも出てきそうな二枚目のイケメン給仕に早変わりなのであった。
――― これは楽しみだ。
案内を待とうと用意されていた椅子に座り、臨也は携帯を開いた。幸い、メールはまだ一件も入っていなかった。しばらくすると先客の女性たちが立ち上がった。出てきた店員を一瞥して臨也は思わず吹きそうになったがそこは堪えた。しかし肩が震えたのはおそらく伝わっているだろう。黒さを含んだ笑みを残して店員は女性たちを教室に案内していった。後ろにも客が並び始めた。臨也はそのまま暇つぶしも兼ねて次の仕事の依頼の内容を携帯で調べた。
――― 次は確か。
こういう時、タッチパネルは本当に便利だと感じる。方向キーを連打しなくとも画面上を滑らせればページがスクロールされ、自分のペースで文章を追うことができ作業効率も上がる。難点はやはり指紋が残ることだが。
「次のお客様……」
すると、横に店員が立った。その声は若干とげとげしかったが、聞き覚えのある声に臨也は顔を上げた。
見ればそこには見知った顔。
「やぁ」
「折原さん?」
案内に来たのは静雄だった。彼は臨也の顔を見るなり目を見開き、硬直した。
「何で」
「何でって、遊びに来たんだよ」
臨也は携帯をポケットにしまい、立ち上がった。
教室内は以外にも比較的静かだった。臨也は窓に近い席に案内された。机は二つ合わせて白とオレンジのギンガムチェックの二枚のクロスが掛けられていた。椅子の方も気を使っているのか、新しさの残るきれいな椅子だった。
「これ、メニューだ」
そう言って渡されたカードはなかなかに作りこんであった。厚紙にレザック紙を張り、メニューの書いてある紙も写真付きで見やすかった。さすが三年生、と臨也は少しだけほめた。
「じゃあ紅茶とプレーンのパウンドケーキで。紅茶はストレートでいいよ」
「わかった」
静雄は胸ポケットに入れていたメモに書きとめ、メニューを臨也から受け取って机と布で仕切られた奥に入っていった。
「新羅」
一休みにペットボトルのお茶を飲んでいた新羅に、静雄は声をかけた。
「何だい?静雄」
少しだけ首を上げ、新羅は静雄の顔を見た。そこには焦りのような、恥ずかしさのような、微妙な色をした顔があった。
「折原さんが来た」
「臨也が?」
おやと言いたげに返すと、新羅はそのまま仕切り布から覗いた。窓際の一番日の当たっている、運動場が見下ろせる良好な席に臨也の姿を見つけた。
臨也は携帯を弄ることなく、窓の外を眺めていた。
――― この席、懐かしいなぁ……
眼下に広がる運動場の光景は何一つ変わっていなかった。今はダンスの発表なのか十数人の生徒が同じような格好をして、微かに聞こえてくる音楽に合わせて動き、陣を変えていた。
――― 後ろにドタチンが座ってて、何度も起こされたっけなぁ
放っておけばいいのに、何度も背中をつつかれた記憶が思い起こされた。椅子を少し引き、背もたれに体重を預けた。背中に当たる角の位置もあまり変わっていない。
――― 懐かしい、か……
良い記憶ばかりではない。危ない橋を何度も渡ったし、刃物はもちろん銃器とも出会った。けれど充実はしていなかった。ほとんどすべてが自分の思い通りに進み、利用でき、使った。足りなかったのは刺激だ。今になって見つけた刺激。これが足りなかったのだと、臨也は気付いた。
「おい」
「え?」
不意に声をかけられ、臨也は窓の外から視線を戻した。見れば、静雄がティーカップとパウンドケーキの乗った皿を左右の手に持って立っていた。
「紅茶と、パウンドケーキ」
「あぁ、ありがとう」
ごめん、全然気づかなかった。臨也は苦笑しながら、テーブルに並べられるそれらを見ていた。見た目からすると、パウンドケーキはどうやら手作りのようだった。
「そういえば思ったんだけどさ」
紅茶にスティックシュガーを流し込み、くるくると混ぜながら臨也は尋ねた。
「静雄君、他のお客さんと俺とで態度違わない?」
すると、静雄は肩をすくめ、短く息を吐いて一言。
「…疲れるんだよ」
その声音は本当に疲れているようだった。
「接客自体は嫌いじゃねーけど、知らないやつ相手にすると気使う必要があるし、それに」
何故か話しかけてくるんだよ。女が。
そう言って静雄は片手を腰に当て、もう片方の手で頬を掻いた。
なかなか贅沢な原因だなぁと、臨也は心の中でごちた。教室全体に軽く目を回せば、確かに何人かの女性客がこちらをちらちらと見ていた。しかし静雄の様子を見る限り嬉しいとか恥ずかしいとかはなく、単純に疑問に思っているだけのようだった。
「そうだ、静雄君この後暇ある?」
「え?…あー、昼の後なら」
一度時計を見て、静雄は答えた。
「一緒に回らない?」
「おう」
意外にもあっさりと返事が返ってきた。そのことに臨也が驚いていると、クラスメイトが彼の名を呼んだ。見れば受け渡し口から顔をだし、手招きしていた。
「じゃあ昼終わったらメール送ってね」
「あぁ」
臨也はパウンドケーキを一口大に切り、口に入れた。
「あ、これいい」
感想が思わず口から洩れた。
続きます。